抹茶の定義

日本茶業中央会の定める抹茶の定義は「覆い下で栽培された生葉を揉まないで乾燥した碾茶を茶臼で挽いて微粉状に製造したもの」となっている。そして、「『茶臼で挽いて』という表現は粉砕の代表例を示したもので、他の方法で微粉末にしても「抹茶」と言える」としており、粉砕機で挽いたものも抹茶と認めている。この定義に当てはまるものが食品表示で「抹茶」とされているものだが、粉末茶の中には定義に関係なく「加工用抹茶」「工業用抹茶」「食品用抹茶」という名称で流通しているものがある。碾茶の生産量と抹茶の流通量を比較すると、世間で流通している抹茶の3分の2は本来の意味の抹茶ではないと見られている。


歴史

喫茶の風習は元々中国の唐代から宋代にかけて発展したものである。8世紀頃、中国の陸羽が著した『茶経』には茶の効能や用法が詳しく記されているが、これは固形茶を粉末にして鍑(現在の茶釜の祖先)で煎じる団茶法であった。

抹茶(中国喫茶史では点茶法(てんちゃほう)と呼んでいる)の発生は、10世紀と考えられている。文献記録は宋時代に集中しており、蔡襄の『茶録』(1064)と徽宗の『大観茶論』(12世紀)などが有名であるが、これらの文献では龍鳳団茶に代表される高級な団茶を茶碾で粉末にしたものを用いており、団茶から抹茶が発生した経緯をよく表している。この抹茶を入れた碗に湯瓶から湯を注ぎ、茶筅で練るのが宋時代の点茶法であり、京都の建仁寺、鎌倉の円覚寺の四つ頭茶会はこの遺風を伝えている。

日本には平安時代初期に唐から喫茶法(おそらく団茶法)が伝えられたが、抹茶法が伝わったのは鎌倉時代とされる。その伝来としては、臨済宗の開祖となる栄西が1191年中国から帰国の折に茶種と作法を持ち帰り[4]、その飲み方などが日本に広まったという説が有名である(詳しくは茶道の項を参照のこと)。

栄西の『喫茶養生記』には茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれている。1214年(建保2年)には源実朝に『所誉茶徳之書』(茶徳を誉むる所の書)を献上したという[5]。この時代の抹茶は、現在のような、緑色ではなく茶色であった。


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